新党日本について
2005年8月、小泉純一郎が進める郵政民営化法案の反対者と、当時長野県知事だった作家の田中康夫によって結党。
データ
代表 | 田中康夫 | |
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成立年月日 | 2008年8月29日 | |
議席数 | 衆議院 (480) | 1 |
参議院(242) | 0 | |
合計(722) | 1 | |
おもな政策・思想 |
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略歴
2005年8月、小泉純一郎が進める郵政民営化法案の反対者と、当時長野県知事だった作家の田中康夫によって結党。
議席数は衆院の田中のみ。発足当初は、荒井広幸ら4人。初代代表は田中が県知事のまま就任。特定の支持組織や関連団体等はなく、支持者は田中個人の応援団のような存在であった。
国民新党とは郵政民営化法案への反対スタンスが似ていることから友好関係にあった。しかし、新党日本での政治路線の違いから、離党者の多くは国民新党へ移った。
2006年9月、幹事長の荒井が、参議院の首班指名選挙で民主党・小沢一郎、国民新党・綿貫民輔のいずれにも投票せず、旧知の自民党総裁・安倍晋三に投票した。ところが、田中は新井を処分しなかった。これが理由で、国民新党と袂を分かつことになる。
2007年の参院選には、田中やオウム真理教事件取材で知名度を上げたジャーナリスト、有田芳生らを比例区から擁立。開票の結果、田中が初当選した。
民主党代表の小沢は、選挙後、参議院での安定勢力確保のため、新党日本に統一会派結成を打診。田中はこれを受諾。「民主党・新緑風会・日本」が結成された。のちに国民新党も加わり、彼らとの関係も徐々に修復に向かった。
2009年8月の総選挙では、田中は兵庫8区から民主党の推薦を受けて立候補。公明党の大物、冬柴鐵三を破って当選。
2009年11月、新党日本副代表であった有田が、民主党への移籍を発表。同党への所属国会議員は田中1人となった。
2010年6月に発足した菅内閣下では、国民新党の亀井らと衆院で統一会派を結成。同党は、マニフェストに「増税なき財政再建」を掲示。
具体的には、田中が長野県知事時代に財政黒字化を達成した手法、「無駄を省くための徹底した入札改革」である。ゼネコンに仕事を回すムダを、建設ではなく地元に雇用を生む一般の公共事業へ移行など。