公明党について
1961年に設立された「公明政治連盟」が、1964年に「公明党」と改組したのがはじまり。大衆政党として平和と福祉に力点を置いた活動をアピールしている。
データ
代表 | 山口那津男 | |
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代表代行 | 浜四津敏子 | |
幹事長 | 井上義久 | |
成立年月日 | 1964年11月17日 | |
議席数 | 衆議院 (480) | 21 |
参議院(242) | 19 | |
合計(722) | 40 | |
おもな政策・思想 |
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略歴
1961年、公明政治連盟を設立。
1964年、公明政治連盟を「公明党」と改組。大衆政党として、平和と福祉に力点を置いた活動をアピールしている。数百万人の創価学会を支持基盤とし、無党派層が増加する中でもコンスタントに議席を確保している。
1967年の第31回衆議院議員総選挙。公明党が衆議院にはじめて進出したこの総選挙で25議席を獲得。「55年体制下」では、保守と革新がぶつかる中、埋没しないよう「中道路線」を掲げ、独自の立ち位置を決めた。
1993年には、非自民の細川連立政権に参加、結党以来、はじめて与党の座に就き、閣僚ポストを得る。しかし、自社さ政権の誕生で下野し、公明党の一部は新進党に加わる。その後、公明党が再結成されるも、安定しない時期が続いた。
1999年からは単独で過半数を得ることが困難になった自民党との連立に参加。政権交代が実現する麻生内閣にいたるまで自民党と連立を組んでいた。
平和と福祉に力点を置いた活動をアピールしている反面、連立与党として、自衛隊のイラク派遣や、反対意見も多い障害者自立支援法の成立などを自民党とともに進めてきた。
とくに都市部の選挙で強みを見せ、浮動票の増減に泣かされてきた自民党の補完機能を果たした。
2009年の総選挙では、代表の太田昭広らが落選するなど、大敗を喫した。